広瀬香美は冬の女王から音楽を学ぶ楽しいYouTuberで人気沸騰中!

歌手

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<画像引用元:m.facebook.com>

こんばんは!このサイト管理人AKIです!

今夜フジテレビ系21時55分から開始の

「ダウンタウンなう」には、広瀬香美さんが

ゲスト出演されます!

 

先日は「今夜くらべてみました」にも

出演されていて、

「ストーカーみたいな歌詞で怖い」と

一緒に出演していた古市憲寿さんに

イジられていましたが、

それを否定することなく

「そういう受け取り方もあるのか」と

苦笑していた広瀬さん。

<画像引用元:search.yahoo.co.jp>

 

そんな広瀬香美さんですが、

今でこそ人気YouTuberとなり、

「○○を歌ってみた」で再生回数1950万回を

達成されているほどですが、

歌手としてメジャーデビューを果たすまでは

大変だったようです。

それでは、一緒に調査してみましょう!

 

広瀬香美のプロフィール!

<画像引用元:news.goo.ne.jp>

広瀬 香美(ひろせ こうみ)

生年月日:1966年4月12日(54歳)

出身地:福岡県筑紫野市

血液型:O型

職業:シンガーソングライター/作詞家/作曲家/

編曲家/音楽プロデューサー/ボイストレーナー。

所属:Muse Endeavor inc.

広瀬香美の幼少期はどんな感じだったの?

<画像引用元:resumedia.jp>

親の方針で3歳の頃からクラシック音楽の英才教育を受け、

6歳の頃には作曲も始めていたといいます。

「手に職を付けてもらいたい」というお母様の意向で、

4歳からピアノ、そして5歳から和声学などクラシック音楽の

作曲法を習い始めたのです。

練習をしなければ夕食抜きになるなど、学習は非常に過酷であったとのこと。

第1号作品を完成させたのは6歳で、タイトルは「パパとママ」です。

初めて買ったレコードはバッハの『マタイ受難曲』。

この作品には作曲法が詰まっていて、作曲のルールを

身につけるための勉強になるから」という先生からの教えで、

夕食中などにも聴き続けていたそうですよ。

 

日夜、夢の中でもひたすらメロディを考え、頭の中に浮かべ続けていたそうです。

新しいメロディが浮ぶと、その場ですぐ紙に五線譜を書いてメモを取っていたとのことで、

後年に広瀬香美さんが発表した楽曲の中には、こうして子供時代に作った

メロディを使ったものも多いんだとか。

元々人が歌うのではなく、ピアノやヴァイオリンなどの器楽曲として

書いたものだったことは、メロディの起伏が激しいという特徴につながっているのです。

 

広瀬香美の中学・高校・大学生時代はどんな生徒だったの?

福岡女学院中学校・高等学校(音楽科)時代にはよく通学中に作曲していたといいます。

「ロマンスの神様」のサビ以外の部分は西鉄井尻駅前バス停で、

「愛があれば大丈夫」のサビは井尻六ツ角交差点の歩道橋の上で作られたとのこと。

東京の音大を目指し、地元福岡での勉強に加えて2週間に1度は飛行機で東京に

レッスンに通っていたのです。

 

そして、国立音楽大学音楽学部作曲学科に進学します。

しかし学科内での成績は悪く、講師から「何になりたい?」と尋ねられて

「作曲家」と答えるも「無理」と言われたそうです。

いくらなんでもなりたいことに「無理」は失礼はないですかね!

 

幼少期から養った音楽理論と自身の夢を否定された広瀬香美さんは、

気分転換を兼ねて高校時代の友人を訪ねるためロサンゼルスへと旅立ちます。

そこで、マイケル・ジャクソンやマドンナのライブを観て感激され、

ポップ・ミュージックに目覚めたといいます。

「自分が書き溜めてきたクラシックの楽曲を編曲して

マイケル・ジャクソンが歌ったら売れるのでは」と考え、さらに

「マイケルに楽曲提供したい」という夢が生まれたといいます。

そして夢に少しでも近づくためポップ・ミュージックの勉強を開始、

広瀬香美さんにとって大きな転機となったのです。

 

渡米後、友人のつてで、目標としていたマイケル・ジャクソンのヴォイストレーナーである

セス・リッグスのオーディションを受けるのです。

そこでマイケルに少しでも近づくため、作曲やプロデュースの勉強をさせてくれないかと

直訴したのです。

 

結果、歌ものの曲を書きたいのならと、ボーカルトレーニングも受けておくことを勧められ、

東洋人で初めての合格者となり約3年間師事するのです。

トレーニング修了後、LA在住の日本人ギタリスト平野T.J.ヨーイチさんと出会います。

平野T.J.ヨーイチさんは広瀬香美さんの才能を高く評価し、日本デビューに向けて

デモテープを制作するのです。

そして帰国後、多数のレコード会社にデモテープを送付、そのデモテープが

ビクター音楽産業(現・ビクターエンタテインメント)のプロデューサー田村充義さんの目に

止まり、同社から作曲家に留まらず、シンガーソングライターとしてのデビューが

決定することになるのです!

 

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広瀬香美のこれまでのリリースは?冬の女王とは?

<画像引用元:www.makimonolife.com>

1992年7月 アルバム『Bingo!』でデビュー

1992年12月 1枚目のシングル「愛があれば大丈夫」をリリース。

1993年に「ロマンスの神様」は、オリコンチャートで170万枚を越える大ヒットとなり

ブレイクしました。

アルペンのCMソングになった3枚目のシングルそれ以降、「幸せをつかみたい」

「ゲレンデがとけるほど恋したい」「promise」など、数々のヒット曲を生み出します。

 

このように、冬にヒットする曲が多いことから「冬の女王」とも呼ばれているのです!

ヒットした曲が多いアルペンのCMソングやウインターソングなどは、

実は一年中温暖なロサンゼルスで書いていたと言います・・・!

 

そんな温暖な中で冬の曲を作るのは大変だったということで、

部屋中に雪の風景の写真集を広げたり、舞台が冬の映画を観たり

冷房を強めにして寒さを体感しながら、果ては女性誌を購入しては

想像しかつ曲を書いたと、広瀬香美さんご自身の弁。

 

想像だけで、あれだけのヒット曲が出るのは凄いことですよね!

しかも広瀬香美さんご本人はウインタースポーツも全くやらないというのです。

てっきりウインタースポーツ命くらいに思っていました(汗)

 

ちなみに広瀬香美さんは、自身のシングル「夏だモン」や

広末涼子さんに提供した「summer sunset」など夏の曲も書いていらっしゃます!。

 

そして教育現場においては、1999年、独自のメソッドを提唱する

ヴォイス・トレーニングやヴォーカル・レッスンを行う「Do Dream」

(現・広瀬香美音楽学校)を開校し、校長を務めるのです。

また母校と同系列校である福岡女学院大学で客員教授としても

教鞭を執っていらっしゃいます。

 

 

歌手活動に留まらず、作曲家・作詞家・音楽監督としても多彩なプロデュース・ワークを

行っていらっしゃる広瀬香美さん。

現在、ロサンゼルスに拠点を置き活動中です。

ロサンゼルスで発行されている在留邦人向けのフリーペーパー「QOLA」では、

レギュラー寄稿者として執筆中とのことです。

 

音楽活動としては、ドラマ・映画・ミュージカルの音楽監督、

多くのアーティストへの作品提供およびプロデュースなどを手がけていらっしゃいます。

 

先述した「冬の女王」の異名を持たれ、そのきっかけとなったアルペンとのタイアップを、

1993年から2002年、2007年から現在まで毎年行っています。

 

私生活においては、1999年に俳優の大沢たかおさんと結婚しましたが、

2006年に協議離婚。

2008年10月12日にロサンゼルス在住の1歳上の米国人男性と再婚されています。

 

広瀬香美は西鉄ライオンズ時代からの埼玉西武ライオンズファン!

<画像引用元:tokorozawanavi.com>

幼い頃、福岡に引っ越ししてからよく平和台球場にて西鉄ライオンズを

応援されていたとのこと!

その西鉄ライオンズは現在の埼玉西武ライオンズなのですが、現在もライオンズを

応援されていまして、なんと2020年シーズンから

【埼玉西武ライオンズ球団創設70周年】として

「吠えろライオンズ LIONS 70th バージョン」として

6月9日よりリリースされる事も発表されたのです!!

シーズン中は7回裏のラッキーセブンの際に流しています!!

今はコロナで自宅観戦及び無観客試合ですが、

現地で聴きたいと管理人は思っています!

 

広瀬香美のYouTubeチャンネルは自由な表現力でアツイ!!だけではない!

「○○を歌ってみた」で人気沸騰中の広瀬香美さん。

 

独特な表現力で昇天することも・・・

それだけ一生懸命に動画をアップしているということですよね!

 

広瀬香美さんにはこれからも色々な方の「○○を歌ってみた」シリーズを

伸ばしていただきたいと管理人は思っていますが、

これをすることにより、ただ楽しんでいるだけでは無く

音楽を学んでいらっしゃる様子を

先日の「今夜くらべてみました」で話してくださっていました。

 

 

中でも印象的だったのは小室哲哉さんが作詞されたもので

最初は小室哲哉さんが作成されたものは

音楽を深く学びつくしてきた広瀬香美さんにとって

受け入れがたいことがあったと言います。

 

しかしながら、何度も聴いているうちに

型破りとも言える小室哲哉さんの音楽について

良さを感じられて、今では「師」とも称していらっしゃるほど。

 

広瀬香美さんは毛嫌いすることなく、素直な姿勢だからこそ

受け入れも出来るし、更にご自身の音楽の知識が

広がるということでした。

 

中々自分の中で「音楽とはこうあるべきもの」と

世界が出来ていればいるほど、他の人がいくら優れていても

受け入れがたいものがあると思うのですが、

広瀬香美さんは自身の音楽の世界を広げるチャンス

捉えています。

 

なので、もしかしたら今度は様々な音楽の世界を広げられた

広瀬香美さんのキャッチフレーズに

「夏の歌の女王」などど称される日が来るかも知れませんね!

 

このページのまとめ!

・広瀬香美は1966年4月12日生まれの54歳、福岡県筑紫野市の出身、血液型はO型。

・親の方針で3歳の頃からクラシック音楽の英才教育を受け、

 6歳の頃には作曲も始めていた

・【埼玉西武ライオンズ球団創設70周年】として

「吠えろライオンズ LIONS 70th バージョン」を広瀬香美さんが熱唱!

メットライフ開催時の7回裏ラッキーセブンで流れている!

・広瀬香美はYouTuberでありつつも、「○○を歌ってみた」を通して

 音楽を学んでいる

 

様々な音楽の世界に触れ、独特な表現力で私達を楽しませてくれる

広瀬香美さん!

これからもどんどん世界を広げていただいて、

素敵な歌を世に沢山リリースしていただきたいなと思っています!!

 

 

 

 

 

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