山口百恵の生き方がかっこいいのは生い立ちが影響?住まいの変化も調査!

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<画像引用元:pinterest.jp>

こんにちは、このサイトの管理人AKIです!

芸能界を引退されて早40年が経った

山口百恵さんのファイナルコンサートを

地上波(NHK総合テレビ)で放送してから

1ヶ月弱経ちますが、今もなおネットニュースにて

配信されている山口百恵さんの記事。

記事の内容は記念すべき1980年10月5日に

開催された山口百恵さんの

ファイナルコンサートが予定終了時刻より

30分程早く終わってしまったという事態が。

当時TBSテレビで生中継していた司会の久米宏さんが

何とか30分近く話術で乗り切って

大変ご苦労をされたという内容だったり、

ファイナルコンサートの選曲に

山口百恵さんとTBSテレビのプロデューサーが

揉めていたけれど結果的には成功した件・・・という

ことが取り上げられていました。

俳優である夫の三浦友和さんとの結婚のため

人気絶頂期だったにも関わらず

芸能界から完全引退する道を選ばれたのです。

昭和→平成→令和の今になっても

「伝説のアイドル」として注目される山口百恵さん。

今回は、そんな山口百恵さんについて

山口百恵さんが引退前に記された<蒼い時>や

ネット上で明らかになっている当時の

雑誌の記事等、管理人の思考も挟みつつ

調査していきたいと思います!

山口百恵のプロフィール!

<画像引用元:pinterest.jp>

山口百恵(やまぐち ももえ)

現:三浦百恵

生年月日:1959年(昭和34年)1月17日生まれ

(2021年現在62歳)

出生地:東京都渋谷区恵比寿

出身地:神奈川県横須賀市

身長:161㎝

血液型:A型

職業:元歌手・元女優

ジャンル:歌謡曲/テレビドラマ/映画

<ウィキペディアより抜粋>

山口百恵はずっと横須賀に住んでいた訳では無い

<画像引用元:amazon.co.jp>

山口百恵さんというと、

「横須賀ストーリー」

「I CAME FROM 横須賀」

「横須賀サンセット・サンライズ」

とあって、横須賀生まれの横須賀育ちのように

感じてしまいますが、

横須賀で暮らしていたのは

小学校2年生の終わりから

中学校2年生の終わり位と言われています。

ちょうど、スター誕生でデビューした

ちょっと後になります。

三浦友和さんとご結婚直後の住まいは

時系列ですとこうなります。

・東京都渋谷区(ウィキペディア)

若しくは東京都豊島区で生まれる

*ご両親はこの頃豊島区に住み、近くの診療所で

百恵さんを出産されたとも言われています。

果たしてどっちなのでしょうか・・・

・幼少時は神奈川県横浜市瀬谷区の

木造アパート

(蒼い時の中で、「共同風呂に入っていた際に

山口百恵さんの父親の正妻に立ち入られ、お湯を掛けた」

という“こわいおばさん”の件がありました)

・小学校2年生の終わりから

中学校2年生のデビューするまでが

神奈川県横須賀市の団地

・中学2年3学期より品川中学校に転校

所属プロの女子社員寮にて下宿生活スタート

・東京都台東区にて一人暮らしスタート

・昭和49年6月頃~東京都目黒区の2DK賃貸マンション

お母様と妹さんを呼んでの3人生活。

・人気急上昇の昭和50年2月~東京都品川区西五反田の

3LDKマンション

・昭和52年11月 目黒区五本木の戸建住宅

・芸能界引退後は東京都港区高輪の高層マンション

・気になる現在は東京都国立市。

・・・・・・国立市のお住まいについては

ネット上でも上がっていますが、

当時の雑誌の掲載については

今では考えられないです。

追跡されて家の写真を

雑誌に掲載されてしまうことが、

ということですね。

「あなただってこうして書いているんじゃん!」

と言われそうですが、本当に昔は

スターの追っかけが半端なかったんだと

改めて思い知らされました・・・

今の芸能界の方が自宅公開される場合は

ご近所には当然の如く

モザイクかかってますよね。

当時よりかは安心な世の中になったものですね。

団地は結構持たせるものであると知った件

個人的に驚いたのは、まだ

山口百恵さんが小学校時代の多くを過ごした

横須賀の団地が2021年の今も現存していることです!

(グーグルアースで確認済)

確かに管理人の家の近くにも

団地(どこであるのを特定されるのは・・・なので伏せます)が

ありまして、現在も住まわれている所、

空室の所と6:4な団地があります。

築40年くらい行っているのかな~・・・なんて

思っていますが、

山口百恵さんが暮らしていた団地は

ざっと計算して、少なくとも54年は経っている訳です。

きっと山口百恵さんが住まわれていた時は

新築に近い状況だった(と思いたい)と推測します。

当然内部はリフォームされていると思いますが

いやあ、結構持つ/持たせるものなんですね。

ビックリしました。

ちょっと調べてみたところ、賃貸住宅として

公営団地をリフォームし

企業との連携でリノベーションプロジェクトを進めるなど、

若い世帯に目を向けてもらうための取り組みが

あるんですね!

もしかしたら、山口百恵さんがかつて

住まわれていた団地もそうなのかも

知れないですね!

そもそも団地は昭和30年~40年代の

高度経済成長期を象徴させるもので、

対象としていたのは、中堅のサラリーマン層の家族。

ダイニングキッチンや水洗トイレといった

当時まだ珍しい仕様に人気が集まり、

応募倍率はかなり高かった。

居住者の方たちも、最先端の都市居住スタイルということで、

周りから羨望の目で見られていた。

ということです。

さらに、

2DKが主流で、広さは13.13坪(約43.3m2)~14.94坪(約49.3m2)、

6畳と4.5畳の部屋と板の間(DK)というつくり。

当時は、ちゃぶ台を使って食事をし、食事が終わったら

ちゃぶ台を片づけて布団を敷く、という

寝食同室の生活スタイルが一般的な時代。

家賃は4,050円~4,850円の設定でしたが、応募資格として、

平均月収が25,000円以上であることが定められていました

そうだったんですね。

当時の小学校教諭の初任給が8,000円だったことを考えると、

誰でも住めるような家賃水準ではなかったようです。

ならば山口百恵さんのご家庭は

やっぱり元から裕福だったんだ!

ってことになるのですが・・・

山口百恵は母子家庭育ちで戸籍上は認知だった

まず、令和の今では衝撃な出来事について。

何がというと、山口百恵さんは認知であるということを

マスコミが興味本位で

山口百恵さんの戸籍謄本を取得していた事実です。

当時は個人情報云々ではなかったということですね。

「第三者でも謄本を取れるのか・・・怖い」ってところでしょうか。

今は個人情報保護法がありますので

いくらマスコミでも興味本位に第三者の戸籍謄本取得など

出来ないとは思うのですが。

まあ、そんな母子家庭育ちの山口百恵さん。

実は父親にあたる人物ついて<蒼い時>に

記されていたことは

「あの人の存在を認めない」

ということです。

本のネタバレは出来ませんので一部だけですが

ざっくり纏めると、

山口百恵さんが幼少期のころは

週末に訪れて遊ぶことはしていたのですが

ほどなく中学に進学する際に

娘を思う親の心とはかけ離れ

まるで父親の所有している女のような

言葉を浴びせられたことにより

山口百恵さんの心は深く傷がついてしまったのです。

また、高校進学時には

金銭的援助もしなかったそうで

山口百恵さんのお母様が

工面されていたのです。

かつて父親がお母様のお父様に

「責任をもってきちんとします」とは

真逆になってしまったことに

山口百恵さんご自身も

諦めの感情を抱いていたと言います。

更には山口百恵さんが芸能界にて

地位を確立させると豹変し

親権争いであるとか

山口百恵さんの父親として

金銭がらみの事をしたと言います。

しまいには結婚前にも

「娘としてこうするだろう」と

あたかも娘を知っている父親のような

振る舞いに山口百恵さんは

「亡くなったとしても葬式には出ない。

自分が親になり、心が静かになった時には

お墓参りくらいはするかも知れない」

との位置づけです。

こうしたことから、

山口百恵さんは父親にあたる人物と

手切れ金で親子の縁を切ったのです。

世の中には解決したくても

解決しきれない問題もあるのに

こうして解決されたので

「凄い、格好いい(としては不謹慎かも知れないですが)!」

と、思わずにはいられないのです。

勝手な管理人の感想としても

山口百恵さんの感情はごもっともですよね。

これによって少し

山口百恵さんが芸能界入りに対し

後ろ向きな気持ちを抱かれたのです。

これは他サイトで知りましたが

そんな山口百恵さんの父親にあたる方の職業は

医者だったのです。

さらに勝手な管理人の短絡的憶測を書きますが・・・

昔々は金銭的に余裕があり、一部のやり手の男性は

妻とはまた別の愛人が居るのがセオリーっぽい

所があったのではと思います。

某実業家の父親もそうでしたからね・・・おっとっと(笑)

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山口百恵が三浦友和に惹かれた理由は?

<画像引用元:pinterest.jp>

・初対面では「ぶっきらぼうな態度」で肩すかしを喰らったが

不快では無く、逆に新鮮だった。彼は偽ること無く生きていた。

・いつの間にか私の目は、彼を追うようになっていた

・元々会話を得意としない私にとって、話が持続しなかった。

それは何処かでもう既に彼を一人の異性として意識していた

自分に対する、ひとりの女としての自信のなさでもあった

・晴海埠頭のロケーションがあった時だった。

彼の胸に顔を埋めるシーンで、厚めのセーターから伝わる

彼の鼓動を聞きながら

「この鼓動を特別な意識をもって聞くことの出来る女性に・・・

私がなれたら」と思った。

<「蒼い時」より抜粋>

いやあ、私まで胸がときめいてしまう(申し訳ございません^^;)

これこそが恋する、片思いの女性が思う純粋な気持ちですよね。

実際にお二人の年齢差は7歳離れていて、

三浦友和さんの方が年上です。

「お兄さんのような人」から

沢山の時間を共有する内に

変わっていくのは、極々自然な成り行きと管理人は思います。

だって、映画やドラマで

抱擁シーンやキスシーンとか

あるんです!

擬似恋愛と言ったら失礼かも知れませんが

当時の山口百恵さんは

高校生でもあったことですし

ドラマや映画の台本とは言えど

異性とのシチューションの中で

ドキドキ感が恋心に変化してしまうのは

全く無理の無いことです。

さらに結果論かも知れませんが、

運命だとさえ思えるのです。

あと、これは憶測ですが

山口百恵さんが幼少時の頃から

常時父親がいたわけではない環境下だったことから

<頼れる年上の男性>がとても

魅力的だったのかとも思います。

山口百恵と三浦友和はいつから付き合ったのか?

<画像引用元:jiji.com>

気になったので調べてみました。

<蒼い時>で紹介していた

晴海埠頭のロケーションを行ったのは

昭和50年10月3日 – 昭和51年4月16日に

テレビドラマ放映の「赤い疑惑」の事と推測します。

ということは、このドラマの期間中に

山口百恵さんは三浦友和さんに強く恋心を

抱かれたということになるんですけど、

最後のシーンは片思いであったなら嬉しくて

でももどかしくて、恥ずかしくて・・・という

ところだったのでしょう(*^^*)

蒼い時には「彼からこう言われました」等の

打ち明け話はされていますが

肝心の「いつ?」が分からなかったのです・・・

しかも、その時まだ生まれていない管理人は全くもって

「○回目のハワイにて」なんて分からず。

当時のことをご存じなファンの方は

もしかしたらピン!と来るのかと思いますけども。

で、有力な事が「女性自身」S55年5月8日・15日合併号の中で

掲載されていました。

ご紹介しますと、

山口百恵さんは雑誌掲載時から4年位前にあった出来事の中で

その時は三浦友和さんに片思いだったけれど

その1年後位には付き合いはじめた。と

明かしているのです。

でもでも。

蒼い時では「二人が結ばれたのは電話交際が始まって8ヶ月後」

とあり、「盛夏の頃」と書いていらっしゃるんです。

ってことは、昭和51年の12月~昭和52年1月位に

三浦友和さんから告白された、ということになるんですね。

この、昭和51年の12月~昭和52年1月位は

赤いシリーズ第4弾『赤い衝撃』(あかいしょうげき)が

放送されていた頃ですね。

(1976年11月5日~1977年5月27日)

しかも平均視聴率 27.0%、最高視聴率 32.6%!!

凄い人気ですよ!!

山口百恵さんのヒット曲

「初恋草紙」「夢先案内人」「イミテイション・ゴールド」の頃からは

もう付き合いだしていた、と言うことになるわけですね!

山口百恵が完全引退を選択した理由は?

<画像引用元:mainichi.jp>

時系列的な事を知ると

やっぱり歌に妖艶さを増しているなと

感じずには居られず、

それがまた、女性からしても

憧れの的であるんですよね!!

こうして、歌手としても、女優としても

絶頂期の時に山口百恵さんは

キッパリ引退の道を選ばれました。

当時、目が回るほどなんてではなく、

それ以上に忙しくて

現場に駆けつけられなかった時の為の

影武者まで用意されていたという程

多忙を極めていた山口百恵さん。

この状況で結婚したとしても

仕事にも、家庭にも中途半端になり

それこそ結婚した意味が無いと思われたのです。

その思いが出ていたのが

蒼い時に出ていたこの言葉↓

「私は彼のためになりたかった。」

外に出て行く夫に「いってらっしゃい」

「おかえりなさい」と言ってあげたかった。

愛する人が最も安らぎを感じる場所になりたかった。

そうですね。

出来ることなら管理人もそうしたい。

のですが、専業主婦になったらああああああ・・・

まあ、山口百恵さんはそれまでの功績、

そして三浦友和さんに対する信頼、

何が起きても2人で越えられるという

強い覚悟を持ったことで

夫である三浦友和さんも覚悟を持って今がある、

ということなのかと。

また、勝手な憶測ですが

やはり出生されてから

結婚されるまで

女手一つの中で育ってこられた環境下も

少なからず影響はあると思います。

母は強しと言っても、やはり何処かで

寂しさというものを山口百恵さんは

感じ取っていたのではないでしょうか、ということです。

三浦友和さん、つまり愛する人と築き上げる

家庭を安らぎの場とすることが

山口百恵さんにとって幸せなことだと

思われたのだと思います。

それが山口百恵さんのファイナルコンサートで有名の

「私のわがまま、許してくれてありがとう。

幸せになります」

になるのですね。

あああああ!!

夢を実現させた女性として本当に

格好良すぎます!!

山口百恵著<蒼い時>を読んで人生の指針が変わった?

<画像引用元:pinterest.jp>

管理人のおまけ的な項目ですが(笑)

管理人は、この蒼い時を読んで

「おおーっ、そうか。そうだな。」と

感じたことがあります。

それは、

「彼の存在そのものに深く感謝したい。

彼という素晴らしい人と巡り逢わせてくれた、

神なのか、時なのか判らないが、

私は心から感謝したい。

彼という素晴らしい人を産んで下さった

ご両親を、心の限り大切にしたい。」

と、あります。

この文章で、非常に見る目が変わったのです。

そう、夫のご両親。

正直、この本に出会うまでは

私の母が嫁姑問題で頭を抱えていたので

「私は面倒なことに巻き込まれたくないな」と思って

いたのですが、ガラッとというのはオーバーかも

知れませんが、当時18歳の思考は変わりました!

確かに夫となる人にはご両親がいらっしゃる。

そのご両親がもし・・・だったら、

当然その夫はこの世に生まれなかった。

更に言えば、娘達を産めなかった。

だから。ということだと納得しました。

で、「関係性は良いのか?」って?

・・・夫とご両親との、とあるご事情で

私はお会い出来ていません(爆)

ということで、長くなりすぎましたが

山口百恵さんについて書かせていただきました。

どうしても華やかな所だけに

つい目が行きがちですが、

調査して判ったことは

一人の女性として、よく生きてこられた。

心から愛する人と出会えて、

今はキルト作家としても極められ充実されて

本当に良かった。と感じます。

当時、山口百恵さんが芸能界にいらしていた頃は

まだ生きていない・生まれて間もない私ですが

「人生に影響を与えて下さった方」としても

ご紹介しました!!

ここまでお読み下さり

ありがとうございました!!

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